秋晴れ

今日は例の大阪の校舎に、再び入った。

一学期の時よりはマシだと感じたが、何がマシかって、俺の「嫌なこと」の思い出し具合であった。

息子は母に似るとは言うが、俺の母は手が抜けない性格であった。自己犠牲をいとわない人だった。

そんな性格を多分に引き継いだ俺は、自分の身を犠牲にしても、人に尽くすべきだと考えていた。

そんな時は、嫌なことを思い出さなかった。自分がされてうれしいことは、相手も嬉しいはずである、と考えていたからだ。

それは真実だが、一方で真実が、すべての人に通用するとは限らない。

知らず知らずのうちに、そいつのコンプレックスのスイッチを押していることがある。そういうヤツは、自分の劣等感を、自分が最も恐れている役割を、他人に投影するのである。

以前なら俺は、自分の心の声を無視してでも、やり抜かなくてはならないと思っていた。

辞めることを、一番恐れていた。心の声を人に話すことができなくなっていた。

それはやはり、母親の性格が関係していたのだろう。逆に言えば、それを全うしているうちは、間違っていない、感情に身を任せることが出来た。

しかし……今年の春から、おれはそんな性格が吹っ飛んでいった。嫌なことは、どうしても耐えられないのである。

自己犠牲の精神は、ともすれば、自分の心の声を無視することであった。それは、一方では人に感謝、尊敬されるが、もう一方で、クズにつけ込まれる結果となっていた。多少のことは耐えられるが、俺は、自分の身を守ることができなかった。

そして今、その自己犠牲の精神がかなり薄れてきた。嫌な奴に、親切にするのではなく、おもいきりシバきたいと思うようになった。つーか、そもそも近寄らねえし。

俺の居心地の良い場所、そして、居心地の良い人たちと一緒にいたいのである。それはすごく自然なことだし、健全な精神だ。

だが、長年自己犠牲、つまり自身に起きた嫌なことから、目を背けていた反動で、自己犠牲の精神で突っ走ってきたそのツケが、先の日記のように、数ヶ月にも渡り、怒涛の勢いで俺に流れてきた。

職場のせいか、それとも試験が迫ってきているからか、それは定かではなかった。

原因は分からなかったが、俺がごく一般的な反応ができるようになった結果、この症状が引き起こされてきたのである。

その原因を考えていく中、まあ何だ、母が入院した、おそらく盲腸が腸捻転じゃねえかと個人的に睨んでいるが、俺はその時、ああ、やっぱり母も、長年仕事に打ち込んできた反動は出てきたんだな、とも思った。

俺が夏前まで嫌なことを、今まで脳裏をほとんどよぎらなかったことを思い出していたのは、やはり俺が正常な精神状態になり、かつ、今の環境は、自分にとても悪影響であることを、俺に発信していたのであろう。

基本的に世の中は、ババを誰かに掴ませることで成り立っている部分がある。自己犠牲の強いヤツに、その貧乏くじを引いてもらえばいい。と、当たり前のことである。

以前にも言われたが、姉から、もうちょっとケンカの勝ち方を学ぶほうがいいと、まさにその通りであったといえる。

まあそんなこんなで、気楽に頑張ってるよ!

というか俺と同い年ぐらいの人は、特にそれなりの上手くいっていた人たちは、行き詰ってきてんのかなあ、とも思います。

俺は、頭をうつこと、苦労することが、人よりかなり早かっただけかな〜

続く